引用元 知恵泉
毎年のように大河ドラマの視聴率がどうのこうのと
早速そういう情報が流れています。
今年の大河は紫式部が主人公です。
今までは戦国時代が主でしたが
今回は平安時代
日本文学史に鮮烈な足あとを残した女性日本作家が生まれた時代ともいわれています。
奥ゆかしさが美徳とされた平安時代に【紫式部】をはじめ清少納言や藤原道綱の母などの女流作家が誕生しました。
特に紫式部より10年前後前に存在しライバルと言われる清少納言の【枕草子】は、その時代の女性としては珍しく自己主張あふれる作品になっています。
その枕草子がどのようにして生まれたのか、 随筆家【 清少納言】という女性も気になります。
因みに平安時代は、仮名文字が普及したため日本的な感性が生まれた時代でもあります。
しかし、この時代の現実は、男社会で女性にとって不条理なことだらけです。
今回は清少納言が、【逆境】をはねのけその思いを文字に起こし自分自身も生まれ変わっていった現代にも通ずるその生きるヒントを探っていきます。
【女房】は女性の憧れの仕事
平安時代は、プロの作家が存在していません。
清少納言は【女房】という仕事をしていました。
今でいう女房とは違います。
平安時代の女房とは、宮中で住み込みで働く女性のことです。
大勢の使用人がいる中でも位が高く、家庭教師や秘書のような役割を担っていたようです。
ですから、きちんと教育を受けた教養のある女性でなければ務まらない仕事でした。
ですから平安貴族の女性は賢かったようです。
例えば、古今集を丸暗記したり、楽器の演奏ができたり、文字を美しく上品に書けなければいけませんでした。
その点、清少納言は完ぺきな女性でした。
幼いころから和歌の名手だった父親から和歌や漢文などの英才教育を受けていたようです。
女房達のサロン
引用元 知恵泉
当時は帝(天皇)の妃になるのに相応しい教養を身につけるために周囲に知的な【女房】達を集めたサロンがありました。
清少納言は、サロンの一員に選ばれその中でもなくてはならない存在になりました。
しかし慣れるまではつらいこともあったようですが、定子の理解の甲斐もあり,自信も得て乗り越えることができました。
風通しの良い恵まれた職場で自分らしさを発揮できたようです。
因みに紫式部は、最初は女房の仕事がつらくて一度宮中から逃げ出したしまいました。
枕草紙の誕生
清少納言は当時の女性が働くことは恥ずかしいことそんな価値観はおかしいということに気づきます。
例えば不当な【女性差別】だけでなく
息苦しい人間関係や不条理な婚姻制度などです。
この時代には、 宮仕えをする人は尻軽だなどという愚かな考えを持つ男たちがいました。
清少納言は こういう男達は憎たらしいと言っていることからわかります。
当時の女性たちは、こういう悩みを抱えながら懸命に生きていました。
定子は美しく聡明な女性で清少納言のよき理解者でもあったようです。
ですから清少納言は、定子との楽しい思い出やその後、時代に翻弄される定子を励ましたいという気持ちで書いたのが【枕草子】なのです。
定子の父が亡くなくなり、父の弟である藤原道長の長女彰子が帝(一条天皇)の妃になったため、定子が追われる立場になったことです。
清少納言も今までのように定子に仕えることができなくなります。
この逆境を跳ね返すかのように人目を気にしない定子との思い出を書き連ねることに没頭し生まれたのが枕草子です。
定子が亡くなった後も書き続け とうとう【枕草紙】を完成させました。
定子を励ましたい一心で書かれた枕草子は、宮中でも評判を呼んだようです。
自らの意を貫こうとする強い思いが込められているのです。
紫式部と清少納言どっちが魅力的?
紫式部の随筆【枕草子】の評価が、「得意顔でとんでもない」と評しています。
清少納言は、自分考えを遠慮なく書き連ねる人間的な魅力あふれる人物のようでした。
また、逆境を逆境だと思わない、人の目なども気にしない迫力ある女性だったようです。
まとめ
奥ゆかしさが美徳とされた平安時代に女性差別や男社会などの逆境をばねに逞しく自己表現をした女性たち
清少納言や紫式部達は、女房という女性のエリート職に就きながら平安時代に普及した仮名文字による執筆活動をして作品【枕草子】や【源氏物語】などが誕生しました。
今の時代にもこれらの作品は読まれているくらい日本文学に影響を及ぼしています。